神宮外苑銀杏並木紅葉の自由散策で、とうとう片側の端にたどり着きました。そこには「Royal Garden Cafe」青山店がありました。この店は、西洋も東洋も織り交ぜたオリジナル・メニューが豊富なカフェ&レストランです。
神宮外苑銀杏並木と青山通りが交わるところに石垣がありました。由来についてネットで調べてみると諸説あるようでした。最近はやりのAIを使ってみると、「明治神宮外苑競技場」のものであると、1958年以前にあったもののようです。
この石碑は、明治神宮外苑競技場の由来を記したものだそうです。
碑文の大意
明治45年(1912年)7月30日に、明治天皇(代122代の天皇)、大正3年(1914年)4月11日には、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)がお亡くなりになりました。これを伝え聞いた国民の間から御二方の御神霊をお祀りして御遺徳を永遠に追慕し敬仰(けいぎょう)申し上げたいという機運が高まり、その真心が実って、大正9年(1920年)11月1日、代々木の地に、明治神宮の御創建となったのであります。
明治の時代は、日本の歴史を通じて、政治、経済、文化、スポーツ等の各方面において、驚くべき躍進を遂げ、近代国家としての基盤が確立されましたが、その原動力となられた天皇の偉大な御事蹟の御聖徳の数々を、永く後世に伝えたいものと、明治神宮外苑の造営が進められることになりました。
これがため、明治神宮奉賛会が設けられ、天皇が御在世中、しばしば陸軍観兵式を行わせられ、又、御葬儀がとり行われた旧青山練兵場の現在地に、皇室の御下賜(かし)金をはじめとして、ひろく全国民の献金と、真心のこもった労働奉仕により、十余年の年月をかけて、大正15年(1926年)10月に、明治神宮外苑は完成しました。苑内には、天皇・皇后御二方の、御一代の御事蹟を、有名画家が描いた80枚の大壁画が掲げられている白亜の殿堂、聖徳記念絵画館を中心に、野球場、競技場その他の多くの運動施設が設けられ御仁徳をお偲びしつつ、青少年の心身鍛錬の場として、或いは遊歩を楽しむ人々の憩いの宛として、崇高森厳(すうこうしんげん)の気漲(きみなぎ)る内苑と相俟(ま)って造成されたもので、永く後世に残されるものであります。
外苑造成工事全く成り、奉賛会より明治神宮に奉献するに当り、事情の概要を記し、後の世の人々に伝えるものであります。
大正15年10月
明治神宮奉賛会 会長 徳川家達
銀 杏 並 木
いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の古い植物の一つです。地質学上中生代ジュラ紀(1億5千年前、巨大な恐竜が棲息し
ていた時代)に地球上に広く分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国、日本
にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死
滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木として広く植えられており、「東京都の
木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
樹木の総本数は146本(雌木44本、雄木102本)
四並列の銀杏の大木が作り出した。世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面の白亜の絵画館を望む人口自然美の素晴らしさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と四季折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この明治神宮外苑は大正15年(1926年)10月22日の創建でありますが、その苑池造成に当たり青山通り正面からの直線主要道路が、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは、銀杏が、樹姿端正・樹高よろしく・縁量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来宛者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏樹が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年(1908年)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採取、これを種子として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃(びょうほ)に蒔いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数1600本にもなりました。
外苑造成に当たり、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6メートル内外に成長していた。これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるよう、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923年)に植栽したものです。
直路4条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラグビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24メートル、目通り周り2メートル80センチ、最低17メートル・目通り周り1メートル80センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。
この銀杏が、苗圃で実生えてより実に80有余年、外苑に植生されてより早70年、このように雄大に・見事な樹形を保ちつつ成長しております。銀杏は植生の環境、手入れが適正であれば、その成長量がいかに偉大であるかを、如実に物語っております。
樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしょうが、よき所で、よく育てられ、よき場所に植えられた樹木ほど幸運なものはないでしょう。同じ時期に、同じ苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも稀なる幸福な樹木と言えましょう。今後幾百年、これら兄弟木の銀杏は成長に成長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑苑池と融和し、我々に見事な人口自然美を楽しませせてくれることでしょう。
平成御大礼の日 之を建つ
平成2年11月12日 明治神宮外苑
明治神宮外苑は広いですね。魅力的な観光地、学びの場所です。ただ、今回は時間がもうありません。残念です。
御観兵榎について
この外苑の敷地は、もと陸軍の練兵場で、明治天皇の親臨のもとにしばしば観兵式が行われ、なかでも明治23年(1890年)2月11日の憲法発布観兵式や、明治39年(1906年4月30日の日露戦役凱旋観兵式は、特に盛大でありました。聖徳記念絵画館の壁画「凱旋観兵式」(小林万吾画)にその時の様子が描かれており、当時の盛儀が偲ばれます。明治天皇がご観兵される時は、いつもこの榎の西前方に御座所が設けられたので、この榎を「御観兵榎」と命名し永く保存しておりましたが、平成7年(1995年)9月17日老令(樹齢2百余年)の為台風12号余波の強風のため倒木しました。鋳木の一部は聖徳記念絵画館内に名木「ひとつぱたご」遺木と共に保存されております。
平成8年(1996年)1月、初代御観兵榎の自然実生木(推定樹齢60年)を苑内より移植し、「二代目御観兵榎」として植え継ぎました。
平成8年1月吉日 明治神宮外苑
銀杏並木のお世話をしてくださっている皆さまです。明治神宮外苑銀杏並木は観覧無料なのに、この方々のおかげで毎年、美しい銀杏並木の紅葉を楽しめるのですね。ありがとうございます。
聖徳記念絵画館の案内板
左前方に眺望(ちょうぼう)む円屋根・白壺・石造り建物
近代日本のあけぼの大壁画にみる幕末・明治の歴史
(最終入館 16:00)
休館日/水曜日
(祝日の場合は最後の平日休館)
入場の際にお納めください。
徳川幕府を改め、日本史上空前の大改革・明治維新が断行され、西欧の諸国が300年を要した国家の近代化を、僅か40年でばかりで成しとげた輝かしき明治の時代。当代一流画家の筆に成る館内展示の80面の大壁画が、明治天皇を中心に、わが国近代化へと飛躍の姿・歴史事件の数々を静かに語りかけてくれます。生きた明治史の教室といえましょう。
左の写真は、聖徳記念絵画館の写真です。ここで、今回の明治神宮外苑銀杏並木紅葉ツアーは終わりです。ここから、近くに私たちを待っているはとバスに向かいます。
明治神宮球場を見上げた写真です。ここで私たちを迎えに来て、ここで私たちを待っていたはとバスに乗り込みました。明治神宮外苑銀杏並木の紅葉ツアーのスタートは、この明治神宮球場と明治神宮第二球場の間を歩くことから始まりました。明治神宮球場さんお世話になりました。
時間は10:59です。今回のはとバスツアーも順調に進んでいます♪